「博多町家」ふるさと館

ふるさと館について

館長からのご挨拶

館長
「博多町屋」ふるさと館のHPへようこそ

 「博多町家」ふるさと館館長の長谷川法世です。
 福岡市の指定文化財である当館の町家棟は、小学校の同級生三浦さんの家でした。三浦さんは夏休みの研究に海草の収集を発表して表彰されたこともある優等生でした。クラスの何人かで遊びに行って、たくさんの標本を見せてもらったり、作り方を教えてもらったりしたのを今でも覚えています。彼女の勉強部屋は、表側の「つし」と呼ばれる屋根裏の2階でした。 大きな材木を使ってあるのでびっくりしました。昭和30年頃の話で、それから50年たって、私が館長をさせてもらっているのも感慨深いことです。
その後三浦さんの家は老朽化が進んで建て替えることになりました。そのとき保存の機運が起こって、博多総鎮守櫛田神社のまん前という絶好の場所に移築保存されることになったのでした。

 現在の博多の町は、天正15年(1587)の太閤町割の姿を残しています。かつて家々は大家を除いては瓦葺ではなく板葺でしたが、火事が多いため次第に瓦屋根が普及しました。江戸時代まではつしのある平屋ばかりでしたが、明治になって棟をかさ上げして2階の座敷がつくられ、つづいて総二階建築ができるようになりました。
町家棟は総二階建てができる以前の形で、1階とつしは江戸時代の姿、奥の2階座敷が明治期の形です。京都と同じように間口が狭く奥に長いうなぎの寝床のような敷地に母屋と中庭、離れや蔵のあるのが基本形です。屋内に表から奥まで通り庭とよばれる通路があり、家々はぴったりくっついて軒を並べていました。通り庭は隣家とのプライバシーを保つため家の同じ側につくられました。旧三浦邸はもと博多織元が建築した家で博多織の工房もつくられたため、まん中に通り庭が設けられています。

 明治中期に建てられたこの町家にちなんで、展示棟では明治・大正・昭和の博多町人の暮らしの歴史が楽しくご覧いただけるようになっています。また、博多伝統工芸士さんたちの製作実演や体験指導も毎日おこなっています。
ぜひお越しになって博多町人の歴史と文化に親しんでください。
お待ちしています。

「博多町家」ふるさと館