「博多町家」ふるさと館

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2017年3月28日

九州の鉄道は博多駅から -ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルについて-

 
 日本で初めて鉄道が走ったのは、東京・新橋―横浜間で明治5(1872)年10月14日のことでした。鉄道の敷設にはイギリス人技師のエドモンド・モレルらが当りました。それから遅れること17年、同22(1889)年12月11日、博多停車場から久留米(千歳川仮駅)行きの一番列車が走りました。九州の鉄道が産声を上げた日です。
本数は、午前1往復、午後2往復のわずか3往復で、所要時間は1時間23分。博多を出ると停車駅は雑餉隈、二日市、原田、田代、鳥栖、久留米でした。現在この間、快速電車はわずか32分で走ります。明治の列車はゆっくりと走りましたが、当時の人々はその速さ?にさぞやびっくりしたことでしょう。
 九州初の鉄道を造ったドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルを知る人は、多くはありません。JR博多駅には彼の功績をたたえる銅版のレリーフが、駅ビル屋上の「つばめの杜ひろば」にありますが、彼に関する資料や文献は非常に少ないのです。
 元熊本大学上村直己教授の「九州鉄道会社顧問技師 ルムショッテル」によれば、ルムショッテルは、弘化元(1844)年、プロイセンに生まれ、ベルリン工科大学を出て鉄道局に勤務し鉄道敷設に従事しました。明治20(1887)年11月、ドイツ政府の許可を得て、九州鉄道会社の招聘(しょうへい)に応じて来日し、訪問前には皇居二重橋の鉄橋の設計を添削、製造の監督も務めました。
 彼は日本文化にも深い造詣を持ち、帰国後も日本から訪れた技師たちには指導を惜しみませんでした。世界に冠たる新幹線を造った日本の鉄道技術は、外国人技術者の存在を抜きには考えられません。線路を敷き、汽車を走らせて福岡市の発展の礎を残したルムシュッテルは、博多駅の屋上から優しいまなざしでいまも鉄道を見守っています。

注:ルムシュッテルの日本語表記はルムショッテルと表記される場合もあります。
【参考文献】「博多駅六十五年史」博多駅編集1955年、「博多駅史」博多駅85年史編纂委員会1977年、「九州鉄道会社顧問技師ルムショッテル」上村直己著2005年

写真①ヘルマン・ルムシュッテル(1844―1918)のレリーフ
写真②ドイツから輸入された開業時の機関車 「博多駅六十五年史」より

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