「博多町家」ふるさと館

かわら版

博多モノ。
博多モノ。
博多鋏のペーパーナイフ
唯一無二、最後の職人の心意気。

このかたち、おそらく生粋の博多っ子も目にしたことはないだろう。この菱足、卯の刻印…もちろん、作り手は“最後の博多鋏職人”・高柳晴一さんだが、当の本人が「初めて作りましたからねえ」と、告白するのだから間違いない。ことの始まりは一年前にさかのぼる。別誌の取材で初めて高柳さんに出会った時、その職人らしからぬ彼の人となりに惚れ込んでしまったのがきっかけだ。「竹細工の職人や服飾作家、手芸の趣味人から名医まで、さまざまな鋏の使い手が“こんなのが欲しい”って自分で勝手にデザインして送ってくるんですよ。」と、苦笑しながらも技と心の限りを尽くして応えるその姿。そもそも高柳さんは博多・伝統工芸の雄の一人であり、「型」の継承を重んじるその道の大家である。鍛冶場で見せたわずか1ミリにこだわり抜くその厳しい目、職人の気迫とは裏腹に、伝統を預かりながら自由さを失わない心意気に感動!「“還暦までには上手くなる”って聞いたんですがねえ。まだまだ到着しない(笑)」と、飄々と吐露する高柳さんに、私は懇願した。「どうしても高柳さんの鋏が欲しいんですけど…。仕事柄、鋏の出番は封書の開封がほとんど…」。きっと困らせたにちがいない。そして1年後。私は鋏のほかにもうひとつ、念願の品を手に入れた。後にも先にも世界にたったひとつしかない、“博多鋏のペーパーナイフ1号”だ。

その“還暦”に達した、博多鋏職人の心意気、プライスレス!もちろん、非売品

日本刀と同じく軟鉄に鋼の刃をつけるのが博多鋏の特徴。
一日一本、一年待ちの逸品。6寸(18.5㎝)/8190円

【高柳商店】
住所:福岡市博多区冷泉町6-28
電話:092-291-0613

博多鋏4代目職人
高柳晴一さん(60歳)

<2010.夏号>

博多モノ。
蒲鉾職人は、野菜ソムリエ。
祝宴の華に、蒲鉾×有機無農薬野菜

今年創業100年目を迎える『西門蒲鉾』は老舗中の老舗だ。日本最初の禅寺『聖福寺』の西門に位置し、その西門を永遠に伝えるために西門蒲鉾と名付けられたという。よって4代目・上田啓蔵さんは生粋の博多っ子。数々の地域の役職をこなし、博多部の歴史や伝統・文化の継承と発信を目的とした「博多っ子講座」を自主開催。「博多情緒めぐり」ではコース作成、ガイド養成を引き受けるアツい博多人だ。この“父”の気風を受け継いだ“娘”が今、話題の人。25歳にしてこの世界に飛び込み、幼少から父親同然の存在である職人たちと日々奮闘中だ。そして同時に野菜ソムリエの資格を取得するガンバル女子でもある。「口に入るものだから手間ひまかけても良いものを」と、有機無農薬野菜を使い、伝統の練り物づくりに新風を吹き込む。野菜本来の旨味を引き出すために、野菜ごと取引生産者を分ける徹底ぶり。「父ですか?負けたくない存在ですね(笑)。でも商品づくりは二人三脚です。父のアイデアを野菜でカタチにすることも多いです」。旨い魚と清い水が信条の西門蒲鉾に、ミネラルたっぷりの野菜が加わった。

商品名も素材がそのまま!
上田啓蔵さんと、彩代さん親子

エビ・セロリ・あられ

エダマメ

紅ショウガ

【西門蒲鉾】
住所:福岡市博多区上呉服町5-172
電話:092-291-2466

<2010.秋号>

博多モノ。
昔ながらの縁起もん 博多張子
大きな耳と極彩色が博多流

庶民の暮らしの中で長く愛されてきた伝統的な博多の郷土玩具、博多張子。八女産など極上の手漉き和紙や新聞紙、フノリといった材料から生まれ、ひとつひとつ丹念に手描きで彩色する100%手作りの民芸品だ。江戸中期、上方から来た人形師が始めたものといわれており、博多では大晦日にはだるまを、また男の子が生まれたら端午の節句に“張子の虎”を飾るのが習わしだったという。今では正月「十日恵比須祭」の縁起もの「福笹」にも。
粘土を焼いた土型や彫刻した木型を「親型」と呼び、その上から何枚もの手漉き和紙を張り付けて天日干し。乾いたらその部分だけを抜き出し彩色する。紙を貼った(張った)親型から生まれるから「張り子(張子)」。そう教えてくれたのは博多張子の職人・河野正明さん。定年退職後の平成8年、新聞で見た博多張子に一瞬で魅せられ、その日その足で張子職人の家元に弟子入りしたという異色。「張子の虎は全国でも作られていますが、博多はアジアの玄関口。大陸の影響をそのまま残した風貌が特徴です。日本の虎というよりどこか東南アジアのニュアンスでしょ?大きな耳と極彩色が博多流なんです」。単色をけして使わないのが河野流。

どこか、“アジアな虎”の面持ち?!
博多張子 工芸士 河野正明さん

【博多張子】
「博多町家」ふるさと館
住所:福岡市博多区冷泉町6-10
電話:092-281-7761

<2011.冬号>

博多モノ。
受け継いでいきたい、博多の伝統。
博多おきあげ

まるで絵画から飛び出してきたような豊かな表情をもつ押絵のことを福岡では「おきあげ」という。本来は、模様を立体的に盛り上げた彫り物や蒔絵のことを指すが、福岡では厚紙を切り抜き綿をのせて布で包み貼り合わせて作る。この伝統工芸を絶やさぬように、と尽力しているのが、「博多おきあげ」作家・清水清子さん。カルチャースクールや公民館などで教室を開講し、少しでも多くの人におきあげの魅力を伝えたいという。「昔はお茶やお花や和裁を習うのと同じく教養のひとつでした。残り布を使って家で作っていたんですよ。健やかに育つように願いを込めておばあちゃんから孫へ、母から子へとプレゼントしたものです」おきあげを作り始めておよそ50年。これからは、作品づくりをしながら伝承と普及に努めたいという。清水さんの作品は、4月には「博多町家ふるさと館」で見ることができる。

伝統工芸 博多おきあげ作家 
清水清子さん
電話:092-524-4477

西島伊三雄氏の童画を
「おきあげ」にした作品


<2011.春号>

博多モノ。
祖母と孫の博多包丁。
博多の女子の、嫁入り道具

「博多の台所では肉も野菜もこれ一本やったとです」。希少な博多包丁の造り手、大庭利男さんは言う。「大庭鍛冶工場」の三代目として57年間、鋼を叩き続けてきた鍛冶職人である。柔らかい地鉄に島根県安来産の黄鋼を挟み、1000度を超える火床で、焼いては打ち、打っては焼き、包丁の形に叩き伸ばす。「黒打ち」という黒々とした独特のまだら模様に三角の刃先、太く堂々と刻まれた「博多包丁」の焼き印が博多包丁の真骨頂。その無骨な面構えどおり、手に持てばずっしりと重厚な手応えで、かつて博多の主婦の必需品だったという。三角に尖った刃先で魚をさばき、反り返った刃のみねでゴボウの皮をこそぎ、刀元ではじゃがいもの芽をえぐり取る。「ゴツかばってん、よう切れてよか。孫にも小さかころから持たせとかな」という客も少なくないとか。博多包丁の鍛冶工場も今では2、3軒に。「1日せいぜい3本がやっと。量産できない代わりに大事に使えば20年立派にもちます」と、20年の歴史を刻む大庭さんの博多包丁を見せてもらった。丁寧に手入れが重ねられ、包身は二周りも小さくなっていた。これが20年先、未来の台所に残したい姿だ。

四菱の印は大庭鍛冶工場の屋号紋。この三角の尖った刃先のものだけが「博多包丁」。すべて手作り、直販のみ。1本8,000円前後。

博多包丁職人
大庭利男さん(73歳)

「菱印の手前まで研げます」。大庭さんの20年来の包丁の姿

大相撲で使用される土俵鍬を製作する日本でただ一人の“土俵鍬職人”でもある。30年前からは「消えゆくその姿を後世に残したい」と、農工具のミニチュア模型を製作。その数1,600個!

<2011.夏号>

博多モノ。
バーナード・リーチも絶賛
博多曲物ぽっぽ膳

11月15日は七五三。博多でも子どもが3歳になると、吉日に「お膳すわりの祝い」が行われ、初めて自分の膳が与えられる。そのお膳が博多ではこの「ぽっぽ膳」。馬子にも衣装とばかり、小児は慣れない着物を着せられ、座布団の上に“据えられる”わけで、膳の鶴の絵を鳩に見立て「ほーら、ちゃーんと食べんとこの“ぽっぽ”しゃんが代わりに食べてしまうばい」から、その名がついた、とか。全国に子供用の祝い膳ははあれどこの名は博多専用らしい。ぽっぽ膳は東区馬出で作られてきた博多の名産「博多曲物」で、杉やヒノキの薄い板を熱湯につけて柔らかくして成形し、桜の樹皮で綴じて作る器のこと。元来は筥崎宮の儀式に使われる祭具として発展し、約400年の歴史を持つ。しかし「馬出といえば曲物」といわれたほどのこの地区で、職人はとうとう最後の2軒に。「博多曲物 玉樹」18代目・玉樹さんは、「京都や秋田などの曲物とは違い、九州=暑い地方と促えられている為、塗りを施さない“すっぴん”。通気性がよく、杉自体の殺菌効果を借りて“お弁当も傷みにくい”といわれているんです」という。代々からの技芸の深さはもちろん、母であり職人でもある女当主ゆえの苦労を、力強く乗り越えた玉樹さんには根強いファンも多い。「その昔英国の陶芸家バーナード・リーチが、民藝運動の思想家・柳宗悦とともにうちに寄られたんです。その時、ぽっぽ膳の民画絵の面白さに惹かれ、その場で描かれたのがこれ。自身のサイン付きの“馬”の絵!」と見せてくれた。馬出にちなんで、馬、だそうだ。粋な博多の宝物をまた見つけた。

※ネーム入れ注文可。
料金は「博多町家」ふるさと館にお問合せください。
問い合わせ:092-281-7761

【博多曲物】
住所:粕屋郡志免町別府2-2-16
電話:092-935-5056

鶴と亀を向かい合わせで描くのが特徴。
亀のお尻の髭が赤いのも、鶴(白)、亀(紅)とめでたさを表すため
7,350円(税込)

バーナード・リーチが
描いた馬の膳

曲物師 柴田玉樹さん

<2011.秋号>

博多モノ。
日本で唯一、独楽の家元。博多独楽
真っさらの独楽に描く明日への想い

凧揚げ、羽根つき、独楽まわし…今では見かけなくなった、正月ならではの子どもたちの遊びの風景。「博多独楽は子どもたちのケンカ独楽が進化したもの。日本の曲芸独楽のルーツなんです」とは、日本で唯一の家元として450年の歴史と伝統を守る、博多独楽師・筑紫珠楽さんだ。博多祗園山笠のDNAか、博多では男児たちは相手の独楽に自分の独楽をぶつけて“倒し壊す”ケンカ独楽に夢中だったという。180年前、江戸時代の話である。やがてその中から曲芸を身につけた独楽師が生まれ、やがて芝居興行として上方から江戸へ上り大流行!つまり、曲芸独楽の発祥は博多、ともいえるのだ。そんな博多独楽の宗家二代目・珠楽さんは、3歳で初舞台、10歳に護国神社に舞を奉納。舞手でありながら、自ら独楽づくりをも行うというから驚きだ。しかも、道具一本から手作りにこだわるという徹底ぶり。「独楽を回すのは自分の手。その手に合った独楽を作るということは、独楽を操る微細な動きに通じています。すべては芸を磨くため」。素材の原木を見つけるために自ら山へ分け入り、鍛冶場では男勝りの作業をこなした。厳しい男社会の博多では、女であるがゆえの苦しみも味わったという。芸師としての強さ、そして母、女としてのやさしさ…この潔い白木の独楽にはそのふたつの表情が宿っている。

【筑前博多独楽】
製作所:福岡市東区馬出2-22-22
事務所電話:092-558-4630

今こそ見つめ直したい子どもの遊び「独楽回し」。博多独楽の特徴、鋭利な「鉄心」を自分のいい案配に打ち込み、自分で色を塗ってみよう。新しい1年の始まりに何を描こうか…/白木独楽787円(博多町家ふるさと館にて販売)

博多独楽宗家二代目 博多小蝶さん
「独楽は“胡魔打ち”と呼び、玄関では魔除けにもなります」

<2012.冬号>

博多モノ。
日本で唯一、独楽の家元。博多独楽
真っさらの独楽に描く明日への想い

毎年200万人以上の人出で賑わう「博多どんたく港まつり」。パレードに参加するどんたく隊に欠かせないものといえば「にわか面」だ。これは博多の郷土芸能“博多にわか”で使用されるもので、博多にわかとは愉快な面を着けて博多弁で会話し、日常生活や世相を茶化したり、からかったりするユーモアに富んだ「言葉の遊び」のこと。江戸時代初期、藩主・黒田長政公が町人を城に招いて面を着けさせ、言いたい放題言わせて政治の舵取りをしたのが始まりといわれている。
この面を意匠にしたことで有名なのが、明治39年創業の老舗「東雲堂」だ。前身を「三角屋」といい、博多駅でコンペイ糖などを販売していた。ある日、当時の駅長から「博多らしい土産物がほしい」と依頼されて誕生したのが、博多にわかの面をモチーフにした「二○加煎餅」だった。以来、博多銘菓として今でも高い知名度を誇る看板商品となっている。
この「二○加煎餅」には「にわか面」が同梱されており、実は、定番のオレンジ色のほか、これまで10数種が作られてきた。今後はどんな新バージョンが登場するか楽しみだ。

↑2011年の九州新幹線全線開通記念として、ピンク色に桜柄、瞳がハートの面が登場したり、過去のオリンピックイヤーには“必勝”のハチマキ編が登場したこともある。
←「東雲堂」取締役営業本部長の髙木雄三さん。「みなさんもにわか面を着けて、どんたくを楽しんでください」。


「二○加煎餅」/小3枚4箱組の「ミニ箱(525円)」がキャッチー!※当商品にはお面の同梱はありませんが、「博多町家」ふるさと館では差し上げています。

【二○加煎餅本舗 株式会社 東雲堂】
住所:福岡市博多区吉塚6-10-16
電話:092-611-2750

<2012.春号>

「博多町家」ふるさと館